生徒数の急増に伴い、明治36年(1903年)「九里裁縫女学校」のはじめての校舎が現在の門東町3丁目(現在はコンノ文具店)の地に新築された。
明治43年には生徒数163名の大所帯となって狭くなり、隣接地(現九里校長宅地)に移転増築。 和風総二階、各階三室の造りで、寄宿舎が付随していた。この校舎は大正6年の米沢大火で焼失した。
大正6年に焼失した後、同年10月末に新校舎が落成した。校舎は以前のものより大きく、東南に面したL字形の校舎で、東中央に現代風の玄関があり、二階の75坪の大広間は裁縫実習室であった。東向きの階下には控室、技芸室が、南向き校舎には学科教室二つ、応接室、職員室があった。東南の角には塔があった。また、寄宿舎も付随していた。
昭和9年12月、校内からの出火により焼失した校舎に代わり、現在の地(門東町1丁目)に昭和10年10月新校舎が新築されて現在に至っている。
▲旧校舎感謝の集い(生徒会主催) 平成10年7月23日
▲旧校舎感謝の集い(同窓会主催) 平成10年7月23日 夕刻から▲中校舎をつなぐ連絡路▲芸術棟へのわたり廊下▲翌日には取り壊される教室の黒板に生徒がメッセージを書きました。
平成11年(1999年)3月新校舎が完成、4月から校名が「九里学園高等学校」にかわり男子55名が入学、九里学園はまた新たな一歩を踏み出した。▲生徒玄関、その上は図書館で左側(東)は4階だてのW棟▲今も大切に使用している木造校舎木造校舎は現在1年生のホームルーム教室やプログレスコースの生徒の教室として使用している。また、この校舎は平成9年に国の登録有形文化財となった。
校舎の変遷〜創立10周年祝賀の日
明治43年には生徒数163名の大所帯となって狭くなり、隣接地(現九里校長宅地)に移転増築。
和風総二階、各階三室の造りで、寄宿舎が付随していた。この校舎は大正6年の米沢大火で焼失した。